上住郷の榧(カヤ)(岩手県花巻市大迫町内川目)

樹  高 約14m
幹  周 5.6m(S56 現地案内板)
撮  影 H16年6月

 巨木の里の入り口にあり見逃されがちだが、枝張りも素晴らしい良木。
 幹周が、案内板の書かれたS56年(1981)のものだとしたら、35年も前に計測した数字ということになる。現在はそれではすむまい。
  
 影向の松や唐崎の松のように広く張り出した枝の何箇所かは、折れないように支えが施されている。雪国でこれを維持するのは容易ではないだろう。
 この2日後に出遭うことになる「智福愛宕神社のカヤ (奥州市江刺区)」と比べると、同じ種類の木とは思えないほどの形状の違いには驚かされた。

 現在は、「花巻市大迫町内川目第◯地割」のように味気ない住所表示となっているが、内川目の「上住郷」地区という形で古い字名が残っている。

 上住郷の「住郷(すごう)」という地名は全国にさまざまな漢字でちらばっていて、ざっと書き出してみただけでも「菅生・越河・須河・数河・須郷・数合・須合・周郷・洲河・巣郷・諏合・須後・寿号・巣合」とあり、元々は原日本人の話していたアイヌ語と同じ起源の「すごう」という言葉に、各地で思い思いの良字をあてたものだろう。

 岩手県の中央部であるこの地域は、坂上田村麻呂が鎮守府を置いた胆沢城(いさわのき)や、安倍一族の「鳥海柵(とのみのさく)」や、平泉にもほど近い。
 蝦夷と呼ばれた「まつろわぬもの」の血をひく者たちが、中央政権と戦い続けてきた最前線の地であった。

 花巻市に合併した大迫町は、以前は「稗貫(ひぬき)郡大迫町」であり、かつては「薭縫(ひぬい)郡」と呼ばれたところである。
 「稗(ヒエ)」はアイヌの主食で「ピヤパ」と言い、これが「ヒエ」の語源であろうか。
 冷害に苦しめられ稲作だけには頼れなかった北東北の太平洋側の地域では、麦やアワのような温暖を好む穀類も育ちにくいため、

南部よいとこ 粟めし稗(ひえ)めし のどさひっからまる 干し菜汁(チョイサ- チョイサ)
南部盆唄の『虎女(虎丈)さま』に唄われるように、寒冷でも育ち栄養価の高い「ヒエ」は、ごく身近な食べ物であったのだろう。

全国の「すごう」地名をいただく地域の近接地名や神社、作物などについて調べれば、もっとおもしろいことがみつかるかもしれない。

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